地球のゆくえ

 

 映画『ザ・ムーン』を見た。アポロ11号による人類初の月面着陸を追ったドキュメンタリーだ。その中で飛行士の一人は月に着陸する直前、地球の全景を見たときの感想を次のように語っている。
 「そのとき私が思ったことは神はいつもこの30億の人々がいる地球を見下ろしていて、いまそこにわれわれ3人がいるということだ」
 このとき私は、ハイデガーが晩年に語った言葉を思い出した。
 「…技術が人間を大地からもぎ離して無根にしてしまうこと、これこそまさに無気味なことなのです。…私は月から地球を撮影した写真を見たときびっくりしてしまいました。人間を無根にするためにべつに原子爆弾などはいりません。人間の無根化はすでに存在しているのですから。…今日人間が生きているところ、それはもはや大地ではありません」
 科学はずっとこの神の視点、すなわち世界を天上から見下ろす視点を追い求め続けてきた。そしてその神とは、われわれが拠って立つ大地から隔絶されたところにいる神、すなわち「彼岸の神」でもあったのである。
 しかしこの「神の視点」は、人類に対して様々な災厄をももたらした。極限まで分解された無機物から次々と作り出される化学物質、遺伝子操作によって生み出された自然界に存在しない新種やクローン生命、そして地球を数回壊滅させることのできる核兵器等…。そしてわれわれは今日、この「神の視点」をもっと身近に感じることができる。たとえば最近話題の「グーグルアース」というウェブサイトでは、まさにパソコン上で神の視点から地球を俯瞰し、この地球上のどの地点へもその視野を運ぶことができるのである。
 さきの映画の中で別の飛行士は次のようにも語っている。
 「まるで宝石のように闇の中に浮かぶ地球。しかしこの小さな物体はまたとてもか弱く、壊れやすそうに見えるのだ」
 死に瀕した地球。しかしほんとうの地球はあの衛星写真の中にではなく、われわれの足下でいまも息づいているのである。

(詩誌『地球』148号より)